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しゅりんぷ池田のひとくちコラム!

第37回:元祖ミスタータイガース、藤村富美男さんの記録をグラフ化してみると・・・

阪神では兼任監督も務め、「代打、オレ!」の元祖でもありました。晩年には『必殺仕置人』に元締役として出演されていましたね

 8月末の発売予定で「本塁打列伝 HR Chronicle」というカードセットの制作を進めています。45名の本塁打打者をピックアップしたセットものなのですが、カード裏面ではその選手の年度ごとのホームラン数をグラフ化して見せています。

 僕はグラフを使うのが好きなのですが、単なる数字の羅列では見えてこない部分もグラフにすると見えやすくなるからです。今回、掲載しているのは元祖ミスタータイガース、藤村富美男さんのカードの裏面。藤村さんといえば、あの長嶋さんも憧れたという大スターで、通算本塁打数が200本ほど(正確には224本)というのは知っていたのですが、戦前はボールの質も悪かったので、そのぐらいの数字なんだろうなあ〜と思っておりました。

 ところが、数字を仔細に眺めてみると、藤村さんはキャリアの前半、戦前にはほとんどホームランを打っていないんですね。わずかに3本のみ。そして、39年から42年の4年間は戦争に行っていてプレーしていません。23歳から26歳という一番いい時期に野球を奪われていたのですよ。

 43年に復帰して44年には打点王にも輝くのですが、この年、なんと、ホームラン0! 打点王が0本塁打というのはこの前年43年の青田昇さんと、この藤村さんの例しかありません。青田さんと言えば本塁打王を5回も獲得した日本のプロ野球史を飾るホームラン打者ですが、それでも0本だったのです。

 戦火も厳しくなった時期だけに、ボールやバットの質も最悪の状態であったことは想像に難くありません。43年には8球団が各84試合を戦ってリーグ全体のホームラン数は73本。バリー・ボンズが1シーズンで打った本数と同じです。翌44年はさらに状況が厳しくなって6球団が各35試合を戦ってホームラン総数は23本…。

 そんな時代を経て、戦後、プロ野球が復活すると、大下弘さんが彗星のごとく登場。それまでシーズン10本塁打が最高だった時代に20本塁打を放ってホームラン王となり、日本プロ野球にホームランブームが巻き起こります。

 48年には川上哲治さんと青田昇さんが25本を放ち、49年には藤村さんが「物干し竿」と異名を取った長尺バットを使って46本と大幅に記録を更新。この49年と翌50年は"ラビットボール"と呼ばれるボールが使用され(ボールの生産が機械化されて品質が向上し過ぎたらしいです)、やたらとホームランが出たのですね。50年には小鶴誠さんが51本塁打! この年、小鶴さんがマークした161打点はいまだに破られていないNPB記録です。

 その後はボールも改良され、年間20〜30本でホームラン王が決するようになり、ホームラン王が常時40本塁打するようになるのは60年代に野村克也、王貞治が台頭するようになってからなんですね。

 カードの制作を通して、そんな歴史の大きなうねりを体感したわけですが、いやあ、面白いですね。これから、少しずつ、その全貌を明らかにして行く予定ですので、お楽しみに!

しゅりんぷ池田
1965年7月3日生。香川県出身。カルビー、エポック社にてカードの制作に当たる。現在はBBMカードの編集にたずさわる一方で、「週刊ベースボール」「スポーツカード・マガジン」などにも寄稿している。
Webサイト: http://www.bea.hi-ho.ne.jp/comp/
ブログ: http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/

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