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しゅりんぷ池田のひとくちコラム!

第32回:後楽園球場とフランチャイズの歴史

日本ハムが「少年ファイターズ会」を結成して観客動員に務めていたころの後楽園球場のスタンドの模様

 東京ドームシティ内を歩いていると、「株式会社東京ドームは創立70周年」という表示があちこちに貼られているのが目につきます。東京ドームの前身・後楽園球場が竣工したのが1937年9月11日ということで、今年が70周年なのです。

 ところで、同社のHP内にある「東京ドームの歴史」はかなり読み応えがありますので、一読をお薦めしておきます。

 「後楽園球場70周年記念カード」なんてできないですかねえ〜。

 後楽園球場〜東京ドームというと、巨人/日本ハムのフランチャイズ球場としてのイメージが強いかもしれませんが、同球場は、プロ野球草創期から“プロ野球のメッカ”として賑わい、両軍以外のチームの試合も数多く戦われてきました。

 現在のようなフランチャイズ制が確立されたのが1952年からで、その当初は巨人・東急(現日本ハム)・大映(のちに毎日に吸収)・毎日(現ロッテ)・国鉄(現ヤクルト)と実に5球団もが後楽園球場を本拠地としていたのです(※)! 現在から見れば、国鉄はずっと神宮球場を使っていたように思いがちですが、同球団が神宮を本拠地とするのは64年からなのです。

 (※)54年からは東急が駒澤に移って4球団、58年から大映が毎日と合併して3球団の併用に。その合併球団・大毎が62年から東京スタジアムに、64年には国鉄も神宮に移転も、東京オリンピックのため駒澤球場が閉鎖となり同年より東急の後身・東映が後楽園に復帰。現在のファンにもなじみが深いセ・パ1球団ずつが後楽園球場に並存する形となる

 しかし、巨人/日本ハムの並立期には、両球団が交互に東京ドームを使っていて効率よく回転していたわけですが、5球団もあったら、どう球場を使い回していたんでしょうか? 容易に想像が付くと思いますが、後楽園が使えない際には地方球場で主催試合を行なっていたんですね。

 例えば52年の巨人は120試合中後楽園を使用したのが50試合。夏の東北・北海道遠征とかすごいですよ。8/6八戸、8旭川、9・10札幌、12夕張、14函館、16盛岡、17仙台と移動しているのですが、巨人はこの8戦を6勝2敗で乗り切るんですね。

 また翌53年春には5/12熊谷、13宇都宮、14横浜、15伊東、16静岡草薙、17浜松という6連戦をこれまた5勝1敗! この時期の巨人は第二次黄金時代と呼ばれる黄金時代だったのですが、そのたくましさが伝わってくる戦績ですね。

 話は脱線しましたが、BBMには後楽園〜東京ドームで撮影されたスター選手たちの数多くのフォトライブラリーがあるので、この70周年を記念してカードなり、ムックなりを作ってもらいたいですね。とりあえず、今年度より、季刊から隔月刊になる「ベースボールマガジン」の編集担当には「今年、後楽園球場は70周年だよ!」と耳打ちしておいたので、お楽しみに!

しゅりんぷ池田
1965年7月3日生。香川県出身。カルビー、エポック社にてカードの制作に当たる。現在はBBMカードの編集にたずさわる一方で、「週刊ベースボール」「スポーツカード・マガジン」などにも寄稿している。
Webサイト: http://www.bea.hi-ho.ne.jp/comp/
ブログ: http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/

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