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しゅりんぷ池田のひとくちコラム!

第31回:プロフィールに見るコーチの経歴

野村監督は履歴の長さに加えて、獲得タイトルも豊富なので、カード裏面がこんなに…

 今年のチーム別シリーズからコーチもカードになるようになったのですが、コーチの中には複数球団を渡り歩く人もいるので、カード裏面のプロフィール部分がいっぱいになって大変じゃあなかろうかと思って、選手名鑑を見返してみました。

 複数球団を渡り歩くのは、選手の育成などがうまい、いわゆる名伯楽と呼ばれるコーチに多いですよね。履歴が長そうなコーチというので、最初に頭に浮かんだのが巨人の小谷正勝二軍投手コーチ。大洋で実働10年、通算24勝27敗という、それほど華々しい成績を収めた選手ではなかったのですが、コーチになってからは、その育成手腕の高さが評価され、横浜・ヤクルト・巨人のコーチを歴任されています。その小谷コーチの履歴はこんな感じ。

■小谷正勝■
明石高−国学院大−大洋(68[1]〜77引、79)−ヤクルト(87)−大洋・横浜(90)−ヤクルト(96)−横浜(03)−巨人(05〜)

 しかし、選手名鑑を見ていると、同じジャイアンツでもっと履歴の長いコーチを発見しました。それは、ヘッドコーチの伊原春樹氏。名参謀として知られる同氏はコーチ・監督としての履歴も確かに長いのですが、伊原コーチの場合は最初に入団した西鉄が太平洋・クラウン・西武と身売りを繰り返したことが履歴の長さの一因となっているようです。

■伊原春樹■
北川工高−芝浦工大−西鉄・太平洋(71[2])−巨人(76)−クラウン・西武(78〜80引、81)−阪神(00)−西武(01)−オリックス(04退)−巨人(07)

 打撃コーチの名伯楽と言えば、元祖“怪童”中西太さんですよね。

■中西太■
高松一高−西鉄(52〜69引)−ヤクルト(71〜73)−日本ハム(74〜75)−阪神(79〜81)−ヤクルト(83〜84途)−近鉄(85〜90)−巨人(92)−ロッテ(94)−オリックス(95〜97)

 12球団あった中で8球団にまで在籍したことがあるというのはすごいですよね。

 あと、巨人のV9を阻止した中日の元監督・ウォーリー与那嶺さんは62年限りで引退したあと88年まで一度もユニフォームを脱ぐことがなかったというのもすごい記録です。

■与那嶺要■
フェリントン高−ハワイ朝日−米マイナー−巨人(51途)−中日(61〜62引、63)−東京・ロッテ(67)−中日(70)−巨人(78)−南海(81)−西武(83)−日本ハム(85〜88)

 また一般的な知名度はそれほど高くなく、選手としての実績も乏しいので、おそらくカードには1回もなったことがないと思うのですが、元南海の高畠導宏さんの履歴の長さも特筆すべきでしょう。

■高畠導宏■
岡山南高−丸善石油(62)−中央大(63)−日鉱日立(67)−南海(68[5]〜72引、73〜77)−ロッテ(78)−ヤクルト(90)−ダイエー(91)−中日(95)−オリックス(99)−ロッテ(02)−福岡・筑紫台高(03〜04)

 この方は、還暦を間近にして教員となられ、高校野球の指導者になることを目指していたのですが、ガンのため、惜しくも04年に亡くなられてしまいました。

 ブログにも書いたのですが、最近は監督が高齢化しているのに引きずられてコーチの年齢も上がっているので、将来的にはこれらの先人を上回るような長い履歴のコーチが出てくるような予感があります。

 イチローを育てて、“若き名伯楽”と呼ばれた現ソフトバンクの新井宏昌コーチあたりが有力なのでは?

■新井宏昌■
PL学園高−法政大−南海(75[2])−近鉄(86〜92)−オリックス(94〜01)−ダイエー(03)−オリックス(05)−ソフトバンク(07)

しゅりんぷ池田
1965年7月3日生。香川県出身。カルビー、エポック社にてカードの制作に当たる。現在はBBMカードの編集にたずさわる一方で、「週刊ベースボール」「スポーツカード・マガジン」などにも寄稿している。
Webサイト: http://www.bea.hi-ho.ne.jp/comp/
ブログ: http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/

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