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陸上 NARUHODO!the HISTORY 〜歴史を知れば、もっと競技が楽しくなる〜

このコーナーでは、陸上の歴史にスポットをあてていきます。自分の得意種目にも、意外と知られていないエピソードがあるもの。ここではそんな話題の数々をご紹介していきます。

尾縣 貢(筑波大助教授)
Illustration by イシヅカ千鶴子

第12回:駅伝から「EKIDEN」へ

駅伝から「EKIDEN」へ

ニッポン生まれの競技種目

 日本の冬の風物詩の1つに駅伝があります。
 冬になると日本の至るところで駅伝が行われ、市民ランナーからオリンピック選手までがそれぞれの大会で健脚を競い合います。1本のタスキを数人から数十人のランナーたちでリレーしていき、山や海岸、市街地や田園地帯などを駆け抜けていく駅伝は、見ている側には変化に富んだ面白さを与えてくれます。また、上り坂の多い区間、下り坂の多い区間、長い距離の区間、短い距離の区間というように、区間によって異なるため、走る側にとっても自分の長所を生かすことができ、チームとしての戦術にも面白さがあります。

 この駅伝競技は、唯一日本で生まれ日本で育ち、そして世界へと広がっていった競技種目であり、日本の長距離・マラソン界のレベルを引き上げるのに大きく貢献してきました。日本の誇る名ランナーとして活躍したマラソンの瀬古利彦選手、宗茂、猛兄弟、谷口浩美選手らも、駅伝により育ち、世界へと羽ばたいていったといえます。

語源は奈良時代の「駅馬伝馬」

 駅伝の語源は、奈良時代に駅の制度として大宝律令に定められた「駅馬伝馬」制にあり、このうちの駅と伝をとり駅伝と名づけられました。
 駅馬伝馬とは、中央政府からの地方への伝達や、逆に地方の情報を中央政府に集めるのに大いに威力を発揮した制度であり、馬鈴をもった官人(役人)に馬と宿を提供し<駅馬>、伝符を持つ者には馬を提供した<伝馬>というものです。

 では、この<駅伝>という言葉が競技会名(大会名)として使われたのはいつ頃のことなのでしょう。
 それは大正6年(1917年)の4月27日、京都・三条大橋から東京・忍池までの516kmを23区間に分けて行った東海道駅伝徒歩競走が初めてであり、名づけ親は、この駅伝を主催した読売新聞の社会部長であった土岐善磨に命名の相談を受けた、神宮皇学館皇典講究所所長の竹田千代三郎でした。この大会では関東組と関西組の2チームが出場し、関東組が41時間45分でテープを切りました。

箱根駅伝は1920年から

 その3年後の大正9年(1920年)には、今なお続けられている東京箱根間往復大学駅伝競走がスタートしました。これは、駅伝の代名詞といえるほど有名な大会であり、この大会で走ることが関東の大学長距離ランナーの憧れとなっています。
 そして、第2次世界大戦後には師走の京都路を7人のランナーがタスキリレーしていく全国高校駅伝競争大会が生まれました。その後も、都道府県対抗駅伝、全日本大学駅伝対校選手権大会、全日本実業団対抗駅伝大会など数々の駅伝大会が行われるようになり、ますます盛んになっています。

 80年代からは、女子も駅伝に取り組むようになり、華やかな戦いが繰り広げられるようになりました。それとともに駅伝は国際化していき、アメリカやヨーロッパの諸国で「EKIDEN」という名で広く普及しています。

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